足利事件、加害者の追求は徹底しなければならない(1)
このブログでは足利事件について色々書いていきたい。
足利事件の詳細については既にどこにでも書いてあるので再掲しない。ここで書くのは取り調べと懲役を体験した者としての感想である。
自著にも書いたが私の場合、逮捕時には既に罪を認めていたので調書を作るときに大きく揉めることはなかった。しかしそんなレベルでも、担当刑事がなんとか一生懸命に自分の都合の良いように作文しようとする瞬間に何度も遭遇した。
例えば、犯意があったのかなかったのか、という点では、刑事はどうしても「明確に犯意があった」と書きたがる。私は結果的には罪を犯してしまったが、その瞬間に犯意があったわけではない、と応酬しケリがつかない。結局刑事側の作文に私が押捺を拒否し(調書は最後に容疑者がサイン・押捺しないと完成しない)、そこは書き直させた。また、絶対にできもしないような場所から「○○に電話した」「○○に会った」などと入れようとする。更に、その時私が何をどう思ったか、という心理状態についても勝手に作文しようとするのだ。そういう部分は全て押捺を拒否し、削除させた。担当刑事が「いや〜本当にあんたはやりにくいなぁ、まるで『ああいえば上○のようだ』」と渋面をしていたのをはっきりと思い出す。
ようするに、密室における調書作成はなんでもありなのだ。ましてやそれが否認している殺人事件ともなれば刑事達も殺気立ち、なんとか自白を引き出そうとして長時間の取り調べとなる。暴行も十分ありえるだろう。取り調べの可視化・録音は絶対に必要である。
私の場合、一回の取り調べは2〜3時間程度だったが、パイプ椅子に座らされて刑事と一対一の問答は結構疲れる。菅谷さんの場合、それがなんと13時間に及んだというのだから、もはや想像を絶する状況となり、苦し紛れに自白したというのも十分理解できる。
ましてや、あまり報道されていないが菅谷さんは精神薄弱境界域の人であり、他人に極めて誘導されやすいという面を持っている。取り調べを行った刑事達は十分そのことを理解した上で、卑怯にも長時間に渡り精神的圧迫を加えて自白を捏造させたのだ。私は黒羽で同じような境遇の人を数名知った。彼らにも、冤罪の疑いがあるのだ。(その事はまた稿を改めたい)
菅谷さんを17年間塀の中に叩き込んでのうのうと暮らしてきた現場の刑事達と、三度にわたり有罪判決を出した裁判官はみなこの事件における「加害者」である。彼らの処罰無くして司法の闇は晴れない。徹底的に追及するべきなのだ。
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