本間 龍のブログ

原発プロパガンダとメディアコントロールを中心に、マスメディアの様々な問題を明らかにします。

取り調べの可視化は絶対に実現すべきだ

 本日の朝日新聞2面は「見える取り調べ 流れ加速」と題し、警察の取り調べを全て録音・可視化する流れが強まっている、との記事が載っていた。
 流れが決定的になったのはなんといっても足利事件の菅谷さんが釈放されたことが大きい。直接の要因はDNA鑑定が覆ったことだが、再審において検察は争う姿勢がないと伝えられているから、もう一つの柱であった自供についても、証拠能力がないと検察自らが認めたことになる。
 免田事件、財田事件、松山事件、島田事件に続き、検察・警察・裁判所の権威を決定的に失墜させた足利事件は長く歴史に残るだろう。もはや警察が現場においていかにいい加減な捜査をし、時に暴力をもって自白を強制してきたかは明白であるから、その暴走を食い止めるために取り調べの録音・可視化を行うのは避けられないと思う。おとといの記事にも書いたが、私の経験でも調書の作成とははなはだいい加減なものだった。
 こうした流れに当然ながら警察・検察は抵抗している。今日も東京地検特別公判部長の青沼氏が「弊害の方が大きい」とインタビューに答えている。曰く、
・否認していた容疑者が真相を語るのは、(捜査関係者と)信頼関係を築いた上で、心の琴線に触れた場合が多い。
 だが、全てのやりとりが記録されると加害者は隠したいことは話さなくなる。
暴力団などの組織犯罪では報復を恐れて自供が激減するだろう

 笑ってしまった。「心の琴線に触れる」会話をせず、暴力で自白を引き出してきたから今日これだけ叩かれているのではないか。
更に対暴力団について、あなたたちは自供だけに頼って捜査をしているのではあるまい。自白した者を徹底的に守る姿勢を貫くことが先決だろう。

 さらに噴飯物だったのは以下の記述。

「10人の真犯人を逃すとも、1人の無辜を罰する無かれ」という言葉がある。冤罪はあってはならないが、真相を解明し真犯人を処罰するための努力も最大限すべきだ」(原文のママ)

 公判部長という要職にいるお人が、何を当たり前のことを言っているのだ?
「冤罪はあってはならないが」って、あなたたちは今まで冤罪の山を築いてきたではないか。10年も20年も、無実の人間を牢に放り込んできたではないか。その責任を誰がどの程度取ったのか、胸を張って説明したことが一度でもあったのか。あなたたちが権力を振りかざして営々と無実の人間に課してきた仕打ちこそ、犯罪である。その残虐行為に対する無為無策の積み重ねがこんにち批判されているのであって、真相解明をおざなりにせよなどと誰も云ってはいない。議論のすり替えはやめてもらいたい。
 
 民主党は捜査の可視化を公約にあげている。また、先進諸国(英・米・仏・伊)などではすでに取り調べの可視化・録音を行っている。そのデメリットも精査した上で、不都合があるというのならその対案を提案すればいい。ただ反対していれば良い時代は、とうに過ぎ去ったのだ。