本間 龍のブログ

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裁判員制度初の死刑判決、弁護団控訴へ

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 さて、前回も書いたが、裁判員制度最大の問題点が死刑判決だ。先日、裁判員制度初の死刑判決が出たものの、なんと裁判長が「控訴勧奨」するという驚くべき事態が起きた。

 要するに評議の段階で相当紛糾したことの証明だが、裁判員全員で懊悩しながら出した結果を裁判長自らが否定しているのだから、一体何のために判決を言い渡したのか、全く意味がなくなってしまっている。その点について、大変興味深い文があったので紹介しよう。



<まさかの「控訴」発言で早くも炸裂した裁判員制度の地雷>
週プレNEWS 11月25日(木)20時10分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20101125-00000301-playboyz-soci

 やはり、地雷が炸裂した。

 市民の良識を司法に反映させようとスタートした裁判員制度。その地雷とは、死刑の判断だ。元広島高裁長官の藤田耕三弁護士が説明する。
「約40年の判事生活で、唯一、死刑判決にかかわったのは30年以上前のことだが、そのときの被告の顔は今でも忘れられない。ベテランの職業裁判官でも死刑を言い渡すには相当なプレッシャーがかかるんです。まして、裁判員は法の素人。その心理的負担は計り知れません」

 ところが11月16日、ついに裁判員裁判で初の死刑判決が下されてしまったのだ。横浜地裁で死刑判決を受けたのは池田容之被告(32歳)。昨年6月に男性ふたりをナイフと電動ノコギリで殺害、約1340万円を奪ったことへの最終判断が死刑だった。

 過去の判例を考えれば、このケースで死刑は“鉄板”。
ところが、朝山芳史裁判長の発言でてんやわんやの騒ぎに。裁判の締めくくりに、こう被告に語りかけたのだ。
「重大な結論となった。裁判所としては控訴を勧めたい

 それだけではない。判決後の会見に現れた裁判員(50代男性)にいたっては、10秒以上も黙りこくった挙句、「被告にひと言伝えるとしたら、裁判長が最後に言った『控訴してください』。そういうふうになると思う」と、泣き崩れてしまったのだ。

 死刑判決を下すにあたり、6人の裁判員が被告の生死を決める責任の重さに耐えかね、動揺したのは明らか。地雷が爆発した瞬間だった。

 それにしても、裁判長が控訴を勧めるのは異例中の異例。自らの判決を否定することになるからだ。とはいえ、これを擁護する声もある。
「朝山裁判長の言動は理解できます。裁判員6人のアフターケアを行なう意味で、あえて被告に控訴を勧めたのでしょう。控訴審は高裁で職業裁判官だけが行なうことになる。そこでやはり死刑判決が出れば、『高裁から見ても死刑判決は仕方がなかったんだ』と、死刑宣告した6人の心理的負担はぐっと軽くなります」(前出・藤田弁護士)

 だが、元最高検検事で中央大学法科大学院教授の奥村丈二氏はこれに反論する。
「この制度は司法が半ば強引に『判決に加わってくれ』と国民を巻き込んでいるわけです。そのうえで高裁も最高裁裁判員の判断を尊重すると約束している。そんな彼らにさんざんストレスをかけておいて、最後に『控訴してくれ』はおかしい。裁判員制度そのものを否定する発言です」

 司法のプロでも賛否が分かれる事態に、やはり元裁判官の井上薫氏がこうつぶやく。
「裁判官が被告に控訴を勧めるなんて、信じられません。『判決に自信がない』と自らバラしているようなもの。裁判員制度はすでに機能不全に陥っているとしか言いようがない。死刑の可能性がある裁判はプロの裁判官でも不安で、ご飯ものどを通らない。そんな過酷な場に一般の人を巻き込む裁判員制度そのものに、私は大反対です」

 公判中、池田被告は「どんな罰でも受ける」と、死刑を覚悟していたフシがある。
「せっかく被告が反省し、厳罰も覚悟しているのに、控訴の勧めは被告の心情をかき乱すことにもなる」(前出・奥村氏)との指摘も重たい。

 そもそも死刑の評議に一般人を参加させることが無謀なのでは? ストレスを考えれば、裁判員制度は交通事故や窃盗など軽い罪の裁判に限ってもよかったのでは?

 制度の見直しが行なわれるのは2年後。それまで法務省はこの地雷を放置しておくつもりなのだろうか?

(取材・文/興山英雄)
(引用ここまで)


 その後、被告が控訴しない意向であるとの報道が流れた。控訴しなかった場合、当然ながら判決は確定する。裁判員の精神的ケアを図った裁判長の思惑は木っ端みじんに吹き飛ぶところだったが、本日、弁護団が本人の了解を取らずに控訴を決定。間一髪?のところで裁判員達の希望は叶えられた。

 私は文中の井上薫氏の意見に全面賛成。突然舞い込んできた赤紙で理不尽な評議に参加させられ、一生忘れられないような心のキズまで受けなければならない一般人に、一体何の罪咎があるというのだ。

 最後にもう一つ。実はこの控訴のゆくえはまだ分からない。なぜなら、被告本人が控訴を取り下げる、という究極の手段が残されているからだ。


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