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本間 龍のブログ

原発プロパガンダとメディアコントロールを中心に、マスメディアの様々な問題を明らかにします。

8月15日 他人の意見を聞くということ

 今回はム所やクスリネタから離れた文章を書いてみたい。
 今年も8月15日が巡ってきた。昭和も既に遠くなり、戦争を体験した世代(戦地を体験した世代)も少なくなり、憲法見直しや再軍備を声高に叫ぶ連中が跋扈して久しい。

 NHKで終戦特集の視聴者参加討論会をやっていて、少しだけ垣間見たのだが、見苦しくてすぐにやめてしまった。その時間の議題は日本が核武装すべきか否かについてだったが、賛成派も反対派も自分の意見を叫ぶように言うだけで、相手が喋っている途中で文句を入れる、つまり自分の意見に酔っているだけで全く議論にならず、見苦しいことこの上なかった。議論・討論とはどういうものか、普段馴れていない人間が集まると往々にしてあのような「云いっぱなし」状態が起きる。

 アメリカ人がよく学校などでやっているディベートや、大統領選の討論会などを見ていると、見事に議題からそれずにやりあっている。しかも決して激昂せず、冷徹に相手の矛盾点や欠陥を突いている。日本には残念ながらそうした文化がない。「朝まで生テレビ」などその最たるもので、出演者はひたすら自説を主張するだけで、他人の話を聞こうとしない。これでは討論にならない。

 そもそも議論や討論はそれなりに知的能力を必要とするものだ。核武装するべしと声高に叫んでいた元自衛隊幹部など、人が意見を述べているときにぎゃあぎゃあと横槍を入れ、品性のかけらもないのだが、自分では勇ましくやっていると思っているのだろう核武装どうのこうのの前に、あのような品性下劣で冷静に他人の意見を聞けない者が幹部でいられた自衛隊という組織が全く信用できない。ああいう人間は公共の電波に乗せるべきではない。

 戦争の記憶が薄れてくると、勇ましいことを云う輩が増えてくる。核武装して北朝鮮や中国になめられないようにしなければならない、と真顔で叫ぶバカが出てくる。たとえ核武装しても、差し違えてもOKというような狂信的な確信犯が相手なら何の役にもたたない。かつて毛沢東は、アメリカやソ連と核戦争になっても国土の広大な中国の方が最後まで生き残ると云ったらしいが、そういうレベルが相手では少々の核兵器を持っていても抑止力になどならない。実は抑止力というのは、相手が正常でないと機能しないシステムなのだ。

 そもそも戦争に勝つためには、軍備に加えて高度な戦略が必要だ。一対一でのガチンコ勝負ではこちらの消耗も激しいから、同盟国という名の味方を募る。結局は信頼できる味方を一人でも多く獲得した方が勝つのは歴史が証明している。だから核武装に費やす膨大な予算と労力を、有効な同盟国作りに回す方がよっぽど有益なのだ。もちろんこれは、アメリカにもっと貢げという意味ではなく、アメリカ以外にも日本の味方になってくれる国を平時から増やす努力をするべきだ、という意味だ。太平洋戦争時の日本にはそうした国がなかった(ドイツとイタリアは遠方過ぎて戦略的に何の価値もなかった)し、安保で縛り合っている米国以外には、今もない。

 かつて私は日教組の教える偏った歴史教育に縛られた人間だったが、幸いにも高校時代によき師に恵まれて、歴史や政治の多面性・深遠さを知ることが出来た。国防はもちろん重要だが、日本の核軍備は絶対に必要ない。そんなものに使うカネがあるのなら、通常兵器の質を上げる方が遙かにマシである。

 随分とりとめのないことを書いてしまった。議論をするからには他人の意見をきちんと租借できる知識量と知性が必要なはずだが、先日の番組も含めて日本人にはそうした部分がまだまだ足りないように思える。かくいう私自身もいつも自戒しているのだが、他人の意見をきちんと聞くというのは本当に難しい。

 論理的思考とはどのようなものなのかを教えてくれた竹山道雄氏の名著を、久しぶりに紐解いてみようと思う。


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ビルマの竪琴 (新潮文庫)

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