本間 龍のブログ

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連合赤軍・永田洋子死刑囚、死去を正式発表

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 連合赤軍の事件の永田死刑囚が死去した。以下、日経より。

連合赤軍事件の永田洋子死刑囚が死亡
2011/2/6 1:25 (2011/2/6 15:08更新)

 1970年代初頭の連合赤軍事件で殺人・死体遺棄罪などに問われ、93年に死刑判決が確定した連合赤軍元最高幹部の永田洋子(ながた・ひろこ)死刑囚が5日、東京拘置所内で死亡したことが関係者の話で分かった。65歳だった。死因は多臓器不全とみられる。永田死刑囚は脳萎縮や誤嚥性(ごえんせい)肺炎などで東京拘置所で治療中だった。
 確定判決によると、永田死刑囚は71年8月、組織を離脱した仲間2人を千葉県内で殺害したほか、同年12月から72年2月にかけて群馬県の山岳アジト内で「総括」と称するリンチを行い、仲間12人を死亡させた。
 82年6月、一審・東京地裁が求刑通り死刑判決を言い渡し、86年9月の二審・東京高裁判決もこれを支持。93年3月、最高裁が上告を棄却、死刑が確定していた。
 大学在学中に学生運動に傾倒し、連合赤軍に参加。72年に森恒夫最高幹部=73年に獄中で自殺、公訴棄却=とともに逮捕された。
 東京拘置所内からも手記「十六の墓標」「氷解」を発表する一方、作家の瀬戸内寂聴さんや支援者らと手紙を頻繁にやりとりして連合赤軍の事件を振り返った。
(引用ここまで)

 連合赤軍なんて、今の若い読者は殆ど知らないだろう。私も当時まだ10歳くらいだから同世代ではない。日本の犯罪史上稀な大量殺人事件で、しかもそれが自分たちの組織の内ゲバで12人をも粛正していたことから、日本の左翼運動の終焉を決定づけた事件だった。

 1972年に逮捕されて以降、(93年に死刑が確定)約40年をひたすら獄中で暮らした彼女の人生とは、一体何だったのだろう。彼女の目指していた革命は、彼女たちが犯した致命的な犯罪によって国民に忌避され、永遠に達成出来なくなった。彼女はそのことをどう思っていたのだろうか。

 新設された東京拘置所は最新鋭の医療設備を備えているので、夏冬の冷暖房完備で、彼女に対しての看護も適切であったはずだ。大阪医療刑務所を訪問した際、「無期懲役などの重大犯罪を犯した受刑者が重篤な病状になった時、どこまで(国民の税金である)医療行為を行うべきなのか、常に疑問を感じる」と担当者が言っていた。

 合計14人もの尊い命を奪って40年間収容され、ここ数年は寝たきりであった永田死刑囚に対して、現場の医療担当者がどのように対応していたのか、もう少し詳しい情報が出てこないか、と感じている。

 彼女の死によって、本当の意味で連合赤軍事件は過去の物語になったと思う。死者に合掌。 

十六の墓標 上―炎と死の青春

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十六の墓標 下―炎と死の青春

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獄中からの手紙

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