「刑務所は無料の福祉施設」か
今週号の読売ウイークリーに「再犯率8割 急増高齢犯罪者 居心地いい刑務所に戻りたい」という特集が掲載されている。
格差や地域社会の崩壊で高齢者の犯罪が増え続け、07年の犯罪白書によれば06年末、全受刑者7万496人のうち60歳以上は8671人で、全受刑者の12・3%を占めている。このうち65歳以上の新受刑者は1882人(前年比285人増)で、新受刑者全体の5・7%を占めており、この数字は毎年増加している。さらに65歳以上の出所者の4分の3が二年以内に再犯しているという。再犯原因はもちろん貧困であり、餓死するよりはム所に戻った方が良い、となっているのだ。
私は先月、「刑務所に戻りたい者など99%いない」と書いた。これは間違っていないはずだ。しかし高齢者達が孤独と貧困に蝕まれて最後に命のよすがと頼りにするのが現状では刑務所しかないというのが、世界に冠たる経済大国・日本の戦慄すべき実態なのだ。
黒羽刑務所でも高齢者は大変多かった。16工場はその半分以上が高齢者であり、中には明らかな認知症患者もいた。
刑務所というのは、作業がある日は全員、独居・雑居にかかわらず一旦工場に出役しなくてはならない。38度以下の熱でも仕事は休めない。監視のためにも、一人だけ部屋に残るというのは許されないので、どんな歩行困難な者でも朝は工場に連れて行く。つまり、なにか理由をつけて一人で部屋に残るというのはまず有り得ないのだ。
だから身体不自由な高齢者にとって決して楽な場所ではない。若い連中と同じペースで歩き、総入れ歯でも若い連中と同じ時間内で(約10分)食事しなければならない。もたもたしていたら刑務官はおろか同僚達からもどやされるから、とても神経の休まる場所ではないのだ。
ところが16工場はそうした作業不適格者ばかりを集めていたので、ここばかりは刑務所のルールが緩和されていた。認知症の者は手を引っ張って、あるいは腰を支えられてゆっくりと歩き、行進は強制されない。風呂での着替えも手伝いがつき、洗い場で体も洗ってもらえる。まさに24時間介護のような、高齢受刑者にとっては夢のような場所であった。「無料の福祉施設」と揶揄される由縁だ。
しかしいうまでもなくム所は福祉施設ではない。高齢者の面倒を見ているのは何の資格も持たない用務者が殆どで(私自身もそうだ)、そもそも介護の専門知識を持った刑務官も医者もいない。誰かが世話しなければ日々の生活も滞るから仕方なく応急処置的なことをやっているだけに過ぎず、治療や心理的なケアが出来るわけではない。一旦倒れてしまえば手遅れで死に至る場合もある。
そもそもム所が「福祉施設」に例えられること自体が異常なのだ。脆弱な福祉体制から漏れてしまった者たちが生きるために犯罪を犯してム所に入り、出所しても引き取り手が無く金がなければやはり福祉は助けてくれないから再びム所に戻り、そこで死んでいくのだ。
身よりのない年寄りが最後を迎える場所が病院でもム所でも場所が異なるだけで税金を使うのは同じだ、という者もいるかも知れないがそれは違う。ム所に居る間は犯罪者であり、出所して初めて罪を償ったことになるのだから、犯罪者のままで死ぬか否かの違いは、やはり大きい。個人差はあるが、長い年月を生きてきて最後の場所が刑務所だったのでは、あまりに虚しいではないか。
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