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本間 龍のブログ

原発プロパガンダとメディアコントロールを中心に、マスメディアの様々な問題を明らかにします。

私は東京オリンピック招致に反対です

実に半年ぶりのブログ復活。
電通原発報道』発売以来、なんだかんだ書くことが増えて、ツイッターとFBも毎日書くようになってついブログから遠ざかってしまった。でも先週、新著『だれがタブーをつくるのか』を発売し、なんだかまた色々書きたくなってきたので復活します。

さて、今日のお題目は、猪瀬都知事が必死で旗を振っている東京オリンピック招致」。今年9月の開催地決定に向けて国内を盛り上げようと大騒ぎをしている。ちょうど3月頃にIOCによる国内視察と招致世論調査が実施されるので必死なのだ。

 私は博報堂の営業セクションにいたので、金の出入りを痛いほど分っている。だからこういう巨大イベントがどれだけの金を生み、儲かり、経済を動かすのか、恐らくよく理解している部類の人間だと思う。

 その前提で最初に私の立場をはっきりさせておくと、私は二つの点で今回の招致に反対である。

 まず一つは、フクシマ第一原発事故が全く収束していないこと。特に4号機で今もむき出しになっている1000本以上の使用済み核燃料は、311と同規模の地震にはとても耐えられない。もし招致が決まっても、この先開催までの間に311規模の地震が発生したらオリンピックどころではなくなってしまうし、最悪の場合、オリンピック開催期間中に同規模の地震が起きて再び大量の放射能が放出される事態になったら、東京は確実にパニックになる。その時、住民と観光客の避難は一体どうするのか。恐らく誰も考えていないだろう。

 世界中から、選手のみならず観衆を集めている時にまた大地震が起きたら、その避難計画など建てようもない。福島一県でさえまともな避難ができなかったのに、国籍の異なる人々が通常の数倍に膨れ上がる時期に、あの規模の地震が起きれば、4号機は倒壊し、放出された放射能によって今度こそ東京も壊滅的被害を受けるだろう。その時、またもや「直ちに人体に影響はない」などと世界中に向けて言うつもりなのだろうか。

 そういう危険性がある場所(東京)に、ことさらに安全性を吹聴して他国の人々を集めることは、極めて無責任であると私は思う。更に言えば、M7以上の首都直下型地震がいつ来てもおかしくない、と政府も認めているではないか。そんな場所になぜ、平然と世界各国から人々を招こうなどと考えるのか?つまりはそのような危険性を知っていてほおかむりをしているのだ。

 こう書くと、早速御用学者どもが「危険性はない」とか「2020年までには収束作業が完了する」などと言うだろうが、そんな保証はどこにもない。そもそも彼らは311以前、何の根拠もなく「原発は絶対事故を起こさない」と言って給料をもらっていた連中だから、全く信用できないし、する必要もない。

さらに二つ目の理由は、事故のせいで今もなお帰宅できない人々が16万人以上もいることだ。そのうち何割かは30年後、50年後でなければ帰宅できないという状況にある。東京電力という私企業が引き起こした過酷事故によって、生存権や財産権という憲法に保障された基本的人権を脅かされている人々が万単位で存在するのに、そういう甚大な問題を解決しない(出来ない)ままにオリンピックなどという祭り騒ぎを開催するのは、苦しむ同朋に対し、道義的に極めて不道徳であると思うのだ

 このオリンピックという祭りは、準備から実施まで莫大なカネが動くので、経済界としてはやりたくて仕方ない。確かに東京のインフラは前回オリンピック時のものだから、そろそろまた作り替えたいだろう。当然、メディアも同じである。準備から実施まで、ありとあらゆるコンテンツビジネスになるのだから、これほど有難いモノはない。つまり、純粋なオリンピック精神などそっちのけで経済効果だけが期待されているのだ。それが招致委員会のHPに露骨に現れて醜悪である。

もちろん、実際に競技をする選手たちは純粋にスポーツに打ち込んでいる。私もそこを否定するつもりは毛頭ない。いやらしいのは、そうした選手たちの純粋な気持ちが、経済界の欲望隠しに利用され、フル活用されていることだ。

 現在のオリンピック招致委員会のHPをみると、オリンピック招致を震災からの復興に無理やりつなげ、復興にはオリンピックがなければならないようなロジックで書かれているが、実に陳腐なレトリックである。日本の復興はオリンピック開催があろうがなかろうが成し遂げなければならないし、招致のあるなしでそのスピードが変わってはならない。なのにこのHPに書かれているコピーの醜悪なこと、醜悪なこと。
 現在書かれているコピーも首を傾げるモノが多いが、昨年6月、最初にこのHPに書かれていたコピーはさらにひどかった。ちょっと紹介しよう。

オリンピック・パラリンピックは夢をくれる。
そして力をくれる。
経済に力をくれる。
仕事をつくる。
それが未来をつくる。
そして世界の意識をニッポンにつれてきてくれる。
今、それがニッポンには必要だ。
2020年までにあらゆるジャンルのニッポンを復活させるために。
日本人みんながひとつの夢をもつ。
そのことをためらう理由はどこにもありません。
ニッポン心の復活を
スポーツの力で。


夢をくれる、力をくれるまではいいが、経済に力をくれる、仕事をつくるとは一体何なのだ。臆面もなくオリンピックは経済だ、仕事を作る為の方便なんだ、と言ってのけていて、嫌らしいことこの上ない。さらに続く

私たちはいつから目的をもつことがヘタになったんだろう。
私たちはいつから勝たなくてもいいと
斜に構えて挑戦することから逃げるようになったんだろう。
私たちはいつから経済大国という言葉に甘えて
情熱を特別なものにしてしまったんだろう。
たくさんの困難にあった今、
復興と戦う今、
私たちは未来とも戦わなければいけない。


 4年前にリオに負けたときの恨み節としか聞こえない。負けたのは、お前らが支持しなかったからだぞ、というタカビーな目線を感じる。斜にかまえているのでもなければ情熱を無くしたのでもない。世界の人々に対してきちんとした責任感があるから、放射能の危険があるうちは積極的に招致できないのは、当たり前ではないか。

 また、故郷を追われて苦しんでいる同朋が数万人もいるのに、その人達の苦しみを忘れてどんちゃん騒ぎなど出来ない、と言っているのだ。オリンピックなどなくても日本は復活しなければならないし、我々日本人はオリンピックのために生きているのではない。

 オリンピック招致は日本の復活のためだ、という理屈は完全に倒錯している。スポーツの力で福島第一原発事故を収束できるのなら、是非やってもらいたい。しかしそれはもちろん不可能だし、不可能なことをかけ声だけで勇ましく叫ぶのは、太平洋戦争時の大本営発表のようで全く理性的ではない。ここまで安っぽいコピーというのも珍しい。恐らく、電通史上最低最悪の部類に入るのではなかろうか。

 日本の復活は、早期に全ての原発を放棄して放射能の恐怖から脱却し、福島の惨状を回復してはじめて達成される。それが出来たあとにオリンピックを招致しよう、というのなら話は分るのだ。しかし招致委員会の理屈は違う。「復興のためにオリンピックを招致する」などと言っている。敢えて言うなら、あと7年あれば、オリンピックなどあってもなくても岩手と宮城は復興するだろう。しかし、第一原発の完全な廃炉が達成されるまで、つまり放射能の出元が止まるまでは、福島の復興は難しい。そもそも避難区域さえ解除できない地域が数十年に渡って残るではないか。

 それではいつになったらオリンピック招致出来るのだ、と聞く人もいるだろう。結論から言えばもはや日本はオリンピックなど招致できる国ではなくなってしまったのだ。それだけの大事故を起こしたのだ。事故から2年経っても、現状復帰さえ出来ていないではないか。

 それを忘れ、あるいは見ないふりをして、何の反省もせず、目先の経済効果が欲しいためにどんちゃん騒ぎをしようなどとは、1階で火災が起きているのに2階で宴会をやりたい、と安酒を飲んだ酔っぱらいがくだを巻いているのと同じである。だから私は反対なのだ。

だれがタブーをつくるのか――原発広告・報道を通して日本人の良心を問う

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