本間 龍のブログ

原発プロパガンダとメディアコントロールを中心に、マスメディアの様々な問題を明らかにします。

「塀の中のジュリアス・シーザー」を見て

もう公開も終わりに近いので、今日はイタリア映画「塀の中のジュリアス・シーザー(2012年ベルリン国際映画祭グランプリ作品)を観てきた。

<配給元解説文>
イタリアの巨匠パオロ、ヴィットリオ・タヴィアーニ兄弟が監督を務めた、実在のレビッ­ビア刑務所を舞台にストーリーが展開する意欲作。服役中の囚人たちが、シェイクスピア­の「ジュリアス・シーザー」を刑務所内で見事に熱演する過程をカメラが追い掛ける。演­技に没頭する個性あふれるメンバーたちを演じるのは、終身刑や長期の刑を言い渡された­本物の受刑者たち。そこが塀の中だということを忘れてしまうほどダイナミックで感動的­な芝居に熱狂する。


 ローマ近郊にあるレビッビア刑務所は、重犯罪者用の拘禁施設。累犯の中でも殺人や終身刑(イタリアには死刑がない)などの相当重い刑の受刑者が集められているから、日本で言えばさしずめLB級(累犯で刑期10年以上の受刑者がいる刑務所)刑務所と言うことになるだろうか。

 そこでは、受刑者たちの精神教育の一環として以前から演劇を取り入れていた。それは半年間もの練習期間を与え、プロの演出家の指導を受け、最終的に一般客の前できちんと成果を発表するという非常に本格的なもので、イタリアをはじめ世界各地の刑務所で結構行われているという。

 作品そのものを語る前に、受刑者に演劇を学ばせるというシステムは実に素晴らしいと思った。多くの国々には日本のような「懲役労働」がないから、受刑者たちはひたすら監獄の中で、ベッドの上の天井を見つめながら暮らすしかない。
そんな彼らに生きる目的を与え、演劇の題目によっては、彼ら自身の過去や人生を振り返らせ、反省させる。集団によって何かを成す大切さと、観客に拍手されることによって自らが評価される喜びを知る・・いくつもの効果があるのだ。

 しかし、こうしたシステムは現状の日本の刑務所では全く不可能だ。日本の場合、受刑者は毎日「懲役労働」に就かなければならず、集団になると悪事を働くことを警戒するため、演劇など長時間の集団行動を徹底的に排除する傾向にあるからだ。しかし、特にLB級刑務所などでは、受刑者たちの自主的な行動力の醸成や内的自己反省の機会設定など、日本でも十分教育的効果が見込まれる手法ではないかと感じた。

 タヴィアーニ兄弟は偶然友人からこの「ム所の演劇」の話を聞き、早速レビッビア刑務所に出かけてみると、その時はなんとダンテ「神曲が演じられていた。その様子に感動し、すぐに兄弟は刑務所所長に「ジュリアス・シーザー」を題目に映画を撮りたい、と提案し快諾を得たのだった。だから、刑務所の受刑者が一般客の前で演劇を披露するというのはタヴィアーニ兄弟のアイデアではなく、それ自体はかなり以前から行われていたことだったのだ。

 観る前からある程度想像は出来たが、(もちろんカメラワークの妙もあるものの)確かにこの素人集団の演技が凄まじい迫力だ。それもそのはず、主役キャストの刑期が凄い。
ちょっと紹介すると、

・シーザー   麻薬売買で刑期17年
・ブルータス  組織犯罪で刑期14年
・キャシアス  累犯及び殺人罪終身刑
・ルシアス   反マフィア法により終身刑
・アントニー  累犯により刑期26年
・ディシアス  麻薬売買により刑期15年

 
 という感じで、いずれ劣らぬ重量級?の面々。だからその人相から漂う迫力というか、威圧感は半端ではない。映画では全編の三分の二が刑務所内の様々な場所で行われる練習風景なのだが、本番が近づくにつれて、次第に役に没頭し熱気を帯びる役者(受刑者)達の顔が、陰影の深いモノクロ映像で捉えられる。もちろんこれは演出の狙いで、受刑者たちが役にはまって狂気を帯びてくる様が痛いほど伝わってくるのだ。

 シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」は友情と裏切り、生と死、権力と服従など、いくつものテーマを内包する重層的な悲劇だ。つまりこの刑務所にいる受刑者たちの破滅的人生と見事に重なる。ある者はマフィア組織で人を殺し、裏切られた。ある者は友の命を奪った。そしてある者は、権力欲に取り憑かれ、幾人もの罪なき人々を傷つけた。まさしく「ジュリアス・シーザー」に書かれた権力闘争、忠誠と裏切りを体現している人々が、この悲劇を演じるのだ。

 だから受刑者達はこの「ジュリアス・シーザー」の一つ一つの重いセリフに、自らの破綻した人生を重ねて絶叫する。それは既に演技であって演技ではなく、映画の観客はそれを知る故に一層画面に引き込まれるから、クライマックスのブルータスの死までその緊張感は持続する。

 終演後、観客は総立ちになって役者達を讃える。そして彼らも満面の笑顔で、観客に応える。しかし映画はそれ以上、その成功を称賛しない。演劇がいくら素晴らしくても役者達は重大な犯罪を犯した受刑者であり、演劇が終わればまた刑を償う日常に戻るからだ。

 映画は、終演後すでに興奮が冷めた受刑者たちがそれぞれの部屋に戻る瞬間をも映す。ついさっきまでの高揚感は嘘のように消え失せ、彼らは退屈な日常に戻るのだ。そしてそれはこの先、一生続くのかもしれない。このあたりの無常観は、あの冷たい独房で暮らした人間にしか分らないものだろう。

 最後に、キャシアスを演じた男(殺人で終身刑)が呟く。
「芸術を知ったときから、この監房は牢獄になった」
彼は自由の身であった頃は芸術を知らず、自由を失ってはじめて、この監獄で芸術の尊さに目覚めた。しかし今、どんなに渇望してもそれには手が届かない。。。ずっしりと重い結末だった。

 最後に一言。
この映画のイタリア語の原題「CESARE deve morire」は英語で言えば「CESARE must die」、つまり「シーザー死すべし」で、日本語題と少々異なっている。野望と権力欲に取り憑かれ、かつての友人達の忠告を無視したシーザーは、ブルータスをはじめとする友人達に刺されて死ぬ。そしてシーザーを裏切った彼らも、全てはローマのためだったのだ、と虚しく主張しながら死んでいく。野望も裏切りも、辿り着くところは「死」なのだ。

 これは上記でも書いたとおり、この悲劇を演じる受刑者たちが辿ってきた人生そのものだ。だとすると、原題は彼らに「最後は死をもってその罪を贖え」と言っているのではないか・・・などとは、いくらなんでも少々穿ちすぎだよなぁ。

ジュリアス・シーザー (新潮文庫)

ジュリアス・シーザー (新潮文庫)

高校生の頃に読んで以来、久々に福田恆存先生の訳で
読んでみたくなりました。

 





 

私は東京オリンピック招致に反対です

実に半年ぶりのブログ復活。
電通原発報道』発売以来、なんだかんだ書くことが増えて、ツイッターとFBも毎日書くようになってついブログから遠ざかってしまった。でも先週、新著『だれがタブーをつくるのか』を発売し、なんだかまた色々書きたくなってきたので復活します。

さて、今日のお題目は、猪瀬都知事が必死で旗を振っている東京オリンピック招致」。今年9月の開催地決定に向けて国内を盛り上げようと大騒ぎをしている。ちょうど3月頃にIOCによる国内視察と招致世論調査が実施されるので必死なのだ。

 私は博報堂の営業セクションにいたので、金の出入りを痛いほど分っている。だからこういう巨大イベントがどれだけの金を生み、儲かり、経済を動かすのか、恐らくよく理解している部類の人間だと思う。

 その前提で最初に私の立場をはっきりさせておくと、私は二つの点で今回の招致に反対である。

 まず一つは、フクシマ第一原発事故が全く収束していないこと。特に4号機で今もむき出しになっている1000本以上の使用済み核燃料は、311と同規模の地震にはとても耐えられない。もし招致が決まっても、この先開催までの間に311規模の地震が発生したらオリンピックどころではなくなってしまうし、最悪の場合、オリンピック開催期間中に同規模の地震が起きて再び大量の放射能が放出される事態になったら、東京は確実にパニックになる。その時、住民と観光客の避難は一体どうするのか。恐らく誰も考えていないだろう。

 世界中から、選手のみならず観衆を集めている時にまた大地震が起きたら、その避難計画など建てようもない。福島一県でさえまともな避難ができなかったのに、国籍の異なる人々が通常の数倍に膨れ上がる時期に、あの規模の地震が起きれば、4号機は倒壊し、放出された放射能によって今度こそ東京も壊滅的被害を受けるだろう。その時、またもや「直ちに人体に影響はない」などと世界中に向けて言うつもりなのだろうか。

 そういう危険性がある場所(東京)に、ことさらに安全性を吹聴して他国の人々を集めることは、極めて無責任であると私は思う。更に言えば、M7以上の首都直下型地震がいつ来てもおかしくない、と政府も認めているではないか。そんな場所になぜ、平然と世界各国から人々を招こうなどと考えるのか?つまりはそのような危険性を知っていてほおかむりをしているのだ。

 こう書くと、早速御用学者どもが「危険性はない」とか「2020年までには収束作業が完了する」などと言うだろうが、そんな保証はどこにもない。そもそも彼らは311以前、何の根拠もなく「原発は絶対事故を起こさない」と言って給料をもらっていた連中だから、全く信用できないし、する必要もない。

さらに二つ目の理由は、事故のせいで今もなお帰宅できない人々が16万人以上もいることだ。そのうち何割かは30年後、50年後でなければ帰宅できないという状況にある。東京電力という私企業が引き起こした過酷事故によって、生存権や財産権という憲法に保障された基本的人権を脅かされている人々が万単位で存在するのに、そういう甚大な問題を解決しない(出来ない)ままにオリンピックなどという祭り騒ぎを開催するのは、苦しむ同朋に対し、道義的に極めて不道徳であると思うのだ

 このオリンピックという祭りは、準備から実施まで莫大なカネが動くので、経済界としてはやりたくて仕方ない。確かに東京のインフラは前回オリンピック時のものだから、そろそろまた作り替えたいだろう。当然、メディアも同じである。準備から実施まで、ありとあらゆるコンテンツビジネスになるのだから、これほど有難いモノはない。つまり、純粋なオリンピック精神などそっちのけで経済効果だけが期待されているのだ。それが招致委員会のHPに露骨に現れて醜悪である。

もちろん、実際に競技をする選手たちは純粋にスポーツに打ち込んでいる。私もそこを否定するつもりは毛頭ない。いやらしいのは、そうした選手たちの純粋な気持ちが、経済界の欲望隠しに利用され、フル活用されていることだ。

 現在のオリンピック招致委員会のHPをみると、オリンピック招致を震災からの復興に無理やりつなげ、復興にはオリンピックがなければならないようなロジックで書かれているが、実に陳腐なレトリックである。日本の復興はオリンピック開催があろうがなかろうが成し遂げなければならないし、招致のあるなしでそのスピードが変わってはならない。なのにこのHPに書かれているコピーの醜悪なこと、醜悪なこと。
 現在書かれているコピーも首を傾げるモノが多いが、昨年6月、最初にこのHPに書かれていたコピーはさらにひどかった。ちょっと紹介しよう。

オリンピック・パラリンピックは夢をくれる。
そして力をくれる。
経済に力をくれる。
仕事をつくる。
それが未来をつくる。
そして世界の意識をニッポンにつれてきてくれる。
今、それがニッポンには必要だ。
2020年までにあらゆるジャンルのニッポンを復活させるために。
日本人みんながひとつの夢をもつ。
そのことをためらう理由はどこにもありません。
ニッポン心の復活を
スポーツの力で。


夢をくれる、力をくれるまではいいが、経済に力をくれる、仕事をつくるとは一体何なのだ。臆面もなくオリンピックは経済だ、仕事を作る為の方便なんだ、と言ってのけていて、嫌らしいことこの上ない。さらに続く

私たちはいつから目的をもつことがヘタになったんだろう。
私たちはいつから勝たなくてもいいと
斜に構えて挑戦することから逃げるようになったんだろう。
私たちはいつから経済大国という言葉に甘えて
情熱を特別なものにしてしまったんだろう。
たくさんの困難にあった今、
復興と戦う今、
私たちは未来とも戦わなければいけない。


 4年前にリオに負けたときの恨み節としか聞こえない。負けたのは、お前らが支持しなかったからだぞ、というタカビーな目線を感じる。斜にかまえているのでもなければ情熱を無くしたのでもない。世界の人々に対してきちんとした責任感があるから、放射能の危険があるうちは積極的に招致できないのは、当たり前ではないか。

 また、故郷を追われて苦しんでいる同朋が数万人もいるのに、その人達の苦しみを忘れてどんちゃん騒ぎなど出来ない、と言っているのだ。オリンピックなどなくても日本は復活しなければならないし、我々日本人はオリンピックのために生きているのではない。

 オリンピック招致は日本の復活のためだ、という理屈は完全に倒錯している。スポーツの力で福島第一原発事故を収束できるのなら、是非やってもらいたい。しかしそれはもちろん不可能だし、不可能なことをかけ声だけで勇ましく叫ぶのは、太平洋戦争時の大本営発表のようで全く理性的ではない。ここまで安っぽいコピーというのも珍しい。恐らく、電通史上最低最悪の部類に入るのではなかろうか。

 日本の復活は、早期に全ての原発を放棄して放射能の恐怖から脱却し、福島の惨状を回復してはじめて達成される。それが出来たあとにオリンピックを招致しよう、というのなら話は分るのだ。しかし招致委員会の理屈は違う。「復興のためにオリンピックを招致する」などと言っている。敢えて言うなら、あと7年あれば、オリンピックなどあってもなくても岩手と宮城は復興するだろう。しかし、第一原発の完全な廃炉が達成されるまで、つまり放射能の出元が止まるまでは、福島の復興は難しい。そもそも避難区域さえ解除できない地域が数十年に渡って残るではないか。

 それではいつになったらオリンピック招致出来るのだ、と聞く人もいるだろう。結論から言えばもはや日本はオリンピックなど招致できる国ではなくなってしまったのだ。それだけの大事故を起こしたのだ。事故から2年経っても、現状復帰さえ出来ていないではないか。

 それを忘れ、あるいは見ないふりをして、何の反省もせず、目先の経済効果が欲しいためにどんちゃん騒ぎをしようなどとは、1階で火災が起きているのに2階で宴会をやりたい、と安酒を飲んだ酔っぱらいがくだを巻いているのと同じである。だから私は反対なのだ。

だれがタブーをつくるのか――原発広告・報道を通して日本人の良心を問う

だれがタブーをつくるのか――原発広告・報道を通して日本人の良心を問う

先週発売の新著です!

「電通と原発報道」発売3日で重版決定!

電通原発報道」発売3日で重版決定! 

 19日に発売した「電通原発報道」が発売3日にして重版決定。現在、アマゾンの「ジャーナリズム」と「メディアと社会」カテゴリーで、お陰様で1位になっている。

 昨日、反原発パワーブロガーの座間宮ガレイさんが氏のブログhttp://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65811585.html「ざまぁみやがれい!」にて電通原発報道を読め!〜古館一郎「圧力がかかって番組を切られても本望」の背景が解き明かされている』と題して詳細に紹介頂いたことで、あっという間に情報が拡散したおかげだ。また、ネット上では早くもヒット商品として取り上げられ始めている。

 お読み頂いた方からは、「マスコミ業界がこんな仕組みになっていたなんて知らなかった!」「広告代理店はクライアントのためにこんなことまでするのかと驚いた」などの声を頂いている。利潤追求に狂奔した産官学の原発ムラを、側面から支えていた大手広告代理店とマスメディアの関係を、一人でも多くの方に知って頂きたい。

 こういう内容だから、一昔前なら、この本は大手メディアに無視されてその存在が知られることも難しかっただろう。しかし今、情報はネット上で瞬時に駆けめぐり、人々は自ら真実を探し求めるようになった。これからも引き続き情報を発信し、この本の存在をアピールしていきたい。

電通と原発報道――巨大広告主と大手広告代理店によるメディア支配のしくみ

電通と原発報道――巨大広告主と大手広告代理店によるメディア支配のしくみ

「電通と原発報道」発売します。

電通と原発報道――巨大広告主と大手広告代理店によるメディア支配のしくみ

電通と原発報道――巨大広告主と大手広告代理店によるメディア支配のしくみ

 またまたしばらく更新をさぼってしまった。ここのところ執筆作業が色々あって、このブログ更新まで手が廻らなくなっていたが、いよいよ来週19日、「電通原発報道」が発売となるのでお知らせしたい。

 今回の東京電力福島第一原発の事故の責任は、第一に東京電力にあるのは明白だ。第二の責任は、緊急対応計画を策定していなかった政府にあるが、これは民主党だけを攻めるのは酷である。むしろ、戦後40年以上も国策として原発を推進してきた自民党にこそ、より大きな責任があると言わねばならない。

 そして、ここまで原子力ムラの好き勝手にやらせてしまった責任は実は他にもある、というのが本書の題目だ。東電を初めとする各地の電力界会社からカネをもらい、「原発はクリーンで安全です」などと詐欺まがいの広告を量産してきたのは誰か。原子力村の走狗となって反原発派の意見をメディアから駆逐していたのは誰か。「広告」という手段で「原発安全神話」を演出していたのは誰か。そしてそれはどのような方法で行われていたのか。それを明らかにしたのが本書である。

 実は、少しでもこの業界で仕事をした人には、本書の記述は「そんなこと、あたりめーじゃん」というレベルの内容である。しかし、広告業界及びマスコミで禄をはんでいる方々は、その世界から干されることが嫌で、その「当たり前のこと」がなかなか口に出せず、従って今まで類書は殆ど存在してこなかった。

 しかし、なぜメディアが原子力ムラの圧力に萎縮していたか、そのメカニズムを知らなければ、日本はまたいつの間にか連中の思い通りにされてしまう。だから私は、広告業界以外で働く多くの人々に向けて、この本を書いた。また、私は10数年前から「原子力資料情報室」の会員だったので、以前から原発には危機感をもっていた。そんな背景も本書を書こうと思った要因である。

 ところで、本書の発売が明らかになった6月5日、博報堂の広報室長寺島二郎氏より出版元の亜紀書房に2度電話があり、出版前に本をチェックさせて欲しい旨の要請があった。曰く、

1.『電通原発報道』が出版されるということを亜紀書房ホームページで見たが、著者の本間さんとは退職時に「在職中に知り得た、博報堂の機密を漏洩して会社に損害を与えることはしない」という旨の守秘義務の念書を交わしている。本書で情報漏洩しているということはないか。
2.もし、具体的なクライアントの情報やメディアとの関係性を書かれるなどして、会社やクライアントに何らかの損害があった場合は、法的手段も検討する。
3.発売前に本の内容を知ることはできないか。
4.電通東京電力もこの件に関しては情報収集をしている。

 資本関係もない出版社に対し、電話1本で発売前の本を見せろ、などと要請する傲慢さには驚愕するしかないが、私は「転落の記」発売時にも抗議してきた同氏に対し、

・確かに守秘義務は交わしたが、退社後5年以上が経過し、もはや効力はないと考えている。博報堂は「守秘義務」が何年間有効と考えているのか、明示して欲しい。
・情報漏洩とは何を指すのか、または「会社の機密」とは具体的に何を指すのか明示して欲しい

 旨の文書を送ったが、回答はなかった。

 今回の著作に関しては、同社とクライアントの損害になるようなことは一切書かれていない。しかし、「広告代理店」と大手クライアント、大手メディアの関係性については、読者に分るように丁寧に解説してある。それを「機密の漏洩」だなどと判断する者は一人もいないだろうが、もしそう考えてそれを阻もうとするならば、それは自由な発言への挑戦であると考えるし、徹底的に闘う用意がある。

 それにしても、亜紀書房では「電通から電話がくるならまだしも、なぜ博報堂から?」と笑いのネタになっている。自ら体を運ぶこともせず、電話一本で何でも解決できると思っているのなら、それこそ大手広告代理店の増上慢ですよ、寺島さん。

鈴木邦男さんにご紹介頂きました

 勾留施設についての記事制作・番組制作等でのコメントや、ドラマや映画制作の設定監修等でご質問があればお気軽にご相談下さい。報道番組へのコメント、新聞社との特集制作、テレビドラマの設定監修等で実績がございます。

 また、刑務所内部の話、刑務所を中心とした拘禁施設の現状、再犯問題、出所者の社会復帰についての講演・講義も行っております。お気軽にご相談下さい。


ー最近の講演・出演からー     主催団体/講演主題 

☆2011年10月16日 
千葉県ろう重複障害者施設をつくる会   私の刑務所体験・塀の中で出会った高齢者と障碍者

   ☆11月21日    
学習院大学法学部庄司ゼミ        刑務所の実態と再犯問題
   ☆12月 8日    
矯正と図書館サービス連絡会       刑務所の中と図書の重要性   


☆2012年1月13日
TBS 「マツコの知らない世界」に出演しました    
「マツコの知らない刑務所の世界」

☆2012年2月13日       
週刊現代2/25号にて「転落の記」が紹介されました

☆2012年5月2日
文化放送「夕やけ寺ちゃん」に出演しました

☆2012年5月3日
有楽町ヒューマントラストシネマにて、映画「孤島の王」公開記念トークイベントに登壇しました。



 先日のブログにも書いたが、先週文化放送「夕やけ寺ちゃん」に出演した際、一水会最高顧問の鈴木邦男さんにお会いした。もちろんお名前は見知っていたが、お話しするのは初めて。私のチャランポランな生き方など、はなから罵倒されるのではないかと覚悟をしてスタジオ入りしたのだが、なんと鈴木さんは拙著全部を読んで下さっていて、中でも「転落の記」を高く評価して下さった。

 収録後も親しく話して頂き、「今度どこかで対談しよう」と言ってお別れしたのだが、なんと驚いたことにその翌日、早速「紙の爆弾」誌上で対談のお誘いがあった。それだけでも有難いのに、更に連載しておられる「マガ9http://www.magazine9.jp/kunio/120509/ 誌上でも拙著の紹介をして頂いた。もう頭が下がりっぱなしである。

 実は、「転落の記」発売から3ヶ月が過ぎ、全国の読者から多数の感想を頂いた。その殆どは自らの辛い経験や境遇を吐露し、拙著の記述に自らをだぶらせて読んだ、という内容だった。特に人生においてなにがしかの挫折や辛い苦労をされた方には、私の思いが伝わってくれているらしい。鈴木さんも激動の人生を歩んで来られた方だから、何かが彼の琴線に触れたのだろう。

 元受刑者が人生をやり直そうとすると、「犯罪者のくせに」「人に迷惑をかけたくせに」と蔑まれ、特に私のような、自らの体験を発信する者には「刑務所に入ったことを売りにしている。反省していないからだ」という批判をする人がいるが、それはそれで結構だと思う。私が感じてきたことは全て拙著に書いたし、それを理解できない人にそれ以上のものを望もうとは思わない。しかし世の中には、鈴木さんのように私の思いを理解し、受け止めてくれる人も大勢いる。私は今後も、そういう人たちとお付き合いしながら、受刑者や出所者の待遇改善、社会復帰促進に微力を尽くしたいと思っている。

「孤島の王」トークイベントに出演しましたーノルウエーの刑務所事情

マスコミ・映像関係者の皆様
 勾留施設についての記事制作・番組制作等でのコメントや、ドラマや映画制作の設定監修等でご質問があればお気軽にご相談下さい。報道番組へのコメント、新聞社との特集制作、テレビドラマの設定監修等で実績がございます。

 また、刑務所内部の話、刑務所を中心とした拘禁施設の現状、再犯問題、出所者の社会復帰についての講演・講義も行っております。お気軽にご相談下さい。


ー最近の講演・出演からー     主催団体/講演主題 

2011年10月16日 
千葉県ろう重複障害者施設をつくる会   私の刑務所体験・塀の中で出会った高齢者と障碍者

   11月21日    
学習院大学法学部庄司ゼミ        刑務所の実態と再犯問題
   12月 8日    
矯正と図書館サービス連絡会       刑務所の中と図書の重要性   


2012年1月13日
TBS 「マツコの知らない世界」に出演しました    
「マツコの知らない刑務所の世界」

2012年2月13日       
週刊現代2/25号にて「転落の記」が紹介されました

2012年5月2日

文化放送「夕やけ寺ちゃん」に出演しました

 

 5月3日の夕方6時40分頃より、有楽町ヒューマントラストシネマにて公開中の「孤島の王」のトークイベントに出演した。映画の予告編放映時間をトークに使用するので時間は15分ほどなのだが、雨の中「孤島の王」を鑑賞に来て頂いた方40〜50人ほどにお話しを聞いて頂いた。そこでの話を少し再録したい。

 この映画の舞台であるノルウエーは、「現在世界で最も受刑者に優しい国」として知られる。同国には死刑がなく、一番長い刑でも21年しかない。そもそも刑法犯の平均勾留日数は3ヶ月程度、というお国柄だ。

 なぜそんなことが可能なのか。これは同国警察関係者の講演で聞いたのだが、同国の場合、犯罪を犯した者はその出身地に帰り、地元の人たちと「なぜ犯罪を犯してしまったのか」について徹底的に話し合い、周囲の人々は出所した者の社会復帰に協力するのだという。

 つまり、地域社会が再犯をさせないために協力をするのだ。そこが、一度逮捕されて「容疑者」または「犯罪者」になったら、その場所に住むことができなくなる日本とは決定的に違う。

 日本の現状は、逮捕された者は徹底的に社会から排除する。その期間は長ければ長いほどよく、出所しても「恥ずかしいから帰ってくるな」と言われる。その結果、帰る場所を失い、親子や家族の絆を断たれた者は頼る場所がなく、再び罪を犯してム所に戻る。日本とノルウエーのそうした違いについて、少しでも良いから考えて頂ければ幸いである、と観客の皆様にお伝えした。



 

 

 

 

「夕やけ寺ちゃん」に出演しました

マスコミ・映像関係者の皆様
 勾留施設についての記事制作・番組制作等でのコメントや、ドラマや映画制作の設定監修等でご質問があればお気軽にご相談下さい。報道番組へのコメント、新聞社との特集制作、テレビドラマの設定監修等で実績がございます。

 また、刑務所内部の話、刑務所を中心とした拘禁施設の現状、再犯問題、出所者の社会復帰についての講演・講義も行っております。お気軽にご相談下さい。


ー最近の講演・出演からー     主催団体/講演主題 

2011年10月16日 
千葉県ろう重複障害者施設をつくる会   私の刑務所体験・塀の中で出会った高齢者と障碍者

   11月21日    
学習院大学法学部庄司ゼミ        刑務所の実態と再犯問題
   12月 8日    
矯正と図書館サービス連絡会       刑務所の中と図書の重要性   


2012年1月13日
TBS 「マツコの知らない世界」に出演しました    
「マツコの知らない刑務所の世界」

2012年2月13日       
週刊現代2/25号にて「転落の記」が紹介されました

2012年5月2日

文化放送「夕やけ寺ちゃん」に出演しました


 いや〜またもや更新をさぼりにさぼってしまった。
最近はFBやツイッターの速報性と同時性に惹かれて、どうにもこちらが疎かになっている。もっとも、真の原因は次作の執筆に時間をとられているからで、2冊を6月〜7月の間に相次いで出そうとしているので、入稿と校正が順番に押し寄せてきてちょっとバタバタしている。もう少ししたら内容についてご紹介したい。

 そんな中で、昨日は文化放送の「夕やけ寺ちゃん」http://www.joqr.co.jp/tera/という夕方の番組に出演させて頂いた。最近はとんとAM放送から離れていたのだが、この番組は面白い。メインパーソナリティーの寺島さんは非常にソフトな方だが、日替わりパーソナリティーに岩上安身氏・鈴木邦男氏・武田邦彦という気鋭の諸氏を揃え、時事問題について鋭く切り込んでいるのだ。もちろん東電問題も容赦なしで、そのあたりは文化放送の思い切りの良さにびっくりしたくらいだ。

 そこで私の出演だが、現在公開中の「孤島の王http://www.alcine-terran.com/kotou/について語る、というテーマでお邪魔した。ところが直前になって、なんと日替わりコメンテーターで一水会最高顧問の鈴木邦男も同席するというではないか。

 鈴木氏といえば論客としてつとに有名な方だから、私など相手にもならない。内心、何を話せばいいのか、これはエライことになったと思っていた。ところがスタジオに入るやいなや、鈴木さんが微笑みながら近づいてきて、「こんにちは。本間さんの本、全部読みました。特に転落の記には感動しました」と言って下さったのだ。しかも机の上には確かに拙著3冊が置いてある。「どうも有難うございます」私は思わず深々とお辞儀をしていた。氏のような碩学の方に評価してもらえるとは、作家冥利に尽きるというものだ。

 結局、約20分の番組内では、当初予定の「孤島の王」についての話よりも拙著「転落の記」と日本の刑務所の内情や出所者の窮状についての話が多くなってしまった。鈴木さんがそちらの方の話に入っていってしまうので、寺島さんが必死で軌道修正していたようだ。もちろん、私にとっては大変有難かったのだが・・・

 当然ながら鈴木氏の知己の中には、刑務所に入っている人も結構いる。だから彼も受刑者の待遇や出所者の社会復帰に関しては相当の関心を持っていて、またどこかでこの問題について語り合おう、ということになった。その際は是非ここでも告知していきたい。

 ということで今日は有楽町のヒューマントラストシネマでトークイベントに参加。「孤島の王」に関連した企画で、ノルウエーの刑務所事情について話そうと思う。

 もっときちんと更新しないと・・・・