黒羽刑務所のクリスマス
今日はクリスマス・イブ。キリスト教国でもないのにこれだけ白痴のようにクリスマスに狂奔する国も珍しいと思うが、その恩恵?はなんと刑務所にも及んでいるのは殆ど知られていないだろう。イブではない25日に、毎年鳥の腿肉とケーキが配られるのだ。
刑務所の食事の中でとにかく少ないのが甘みだ。とりわけ菓子は月2〜3回の土曜日に自費(300〜500円)で購入した物以外は、祝祭日以外一切支給されない。自費のことをム所用語で自弁(じべん)と言うが、もしそのカネがなければ菓子を買うことも出来ず、従って甘みとは殆ど縁のない生活を送ることになる。
とりわけ「ケーキ」のような洋菓子にお目にかかれるのは一年でほぼこのクリスマスだけなので、当日が近づいてくると甘党のボルテージはいやが上にも上がってくる。「今年のケーキはどんなものだろうか」「去年よりも大きいだろうか」「一個だろうか、二個だろうか」などと大の大人が集まっては、昨年はこうだった、三年前はこうだったと飽きずに議論する様はなんとも滑稽なものだ。
12月というのは受刑者にとってなかなか楽しい月だ。のど自慢大会や大祓式、小学生によるクリスマス慰問会など週末になれば行事が続き、さらに23日の天皇誕生日には祝いの和菓子が、そして25日にはクリスマスケーキが配られる。
仕事は公務員の休みに準じているので今年ならば28日が最終日になるだろうか。あとは1月の4日まで休み。この間、ほぼ毎日ほんの少量だが菓子が配られ、大晦日は年越しそば(カップラーメン)を食べ、紅白歌合戦を終了まで見られる。21時以降のTV視聴が許されるのもこの大晦日だけだ。そして正月はちゃんとおせち料理が配られる。だからこの年末年始は受刑者にとって憩いの季節だ。
さて2007年12月24日の日記を紐解いてみると、夕食は味の素の「ハーブトマト味ハンバーグ」とある。ム所の場合、「業務用」と印刷された袋ごと暖め、それごと一人一人に配る。冷めてしまうのを防ぐにはこれが最も合理的かも知れない。味はそこそこうまく、ファミレスなどではきっとこれを自分の処で調理しました、みたいな顔をして出しているんだと思われる。
そして25日の昼食に待望のチキン、夕食にケーキが配られた。チキンは市販されているモノよりは小振りだが、それでもちゃんと一人に一本が配られる。
やはりシュリンクパックに包まれたパック品で、産地も何も書いていないモノだが皆有難くいただく。味はまぁおしてしるべしだが、クリスマス気分には浸れる。そして市販で100円程度の小さな可愛い三角形のショートケーキ。これはやはり久しぶりなので非常においしく感じた。
ただせっかくのクリスマスだが、受刑者の食事時間は厳格に決められていて、これはクリスマスとはいえ変わらない。昼も夜も正味10分程度しかないから、ゆっくり味わっている暇もなくあっという間に食べ終わる。
ちなみに昼に出たモノを夕食までとっておいて食べるというのは重罪で、即懲罰。もちろん人にあげたりもらったりするのもダメだ。夕食のケーキを一時間後に食べるというのも御法度。見つかればやはり懲罰を受ける。
食事時間を守らせるという規則厳守もさることながら、食中毒などを防ぐ狙いがあると思われる。もっとも、その規則を破ろうとするものも後を絶たず、度々懲罰房送りになっていたが・・・
ちなみに、クリスマスにはケーキ、正月におせちなどを提供するのは贅沢だと思われるむきもあるだろうが、これは別に受刑者に贅沢をさせようと言うのではなく、季節ごとにきちんと節目をつけた生活をおくらせようという矯正処遇の方針から来ている。だから程度の差こそあれ、日本中どこの刑務所でも必ず提供されているものなのだ。
私のように一年足らずしか入っていない者はいいが、何年もム所で暮らさなければならない人間に季節感を持たせて生活させるのは、なかなか難しいことだ。ム所というのは一般人から見ればただ単に悪人を閉じこめている場所だが、そこで受刑者に直接接している現場では、ある程度生活にメリハリをつけて前向きな生活を送らせることに相当な神経を使っている。
結局、人間は抑圧しているだけでは生きていけなくなるし、やる気がない受刑者は工場での事故やささいな原因でのケンカなどに直結していくからだ。
私も今夜は自宅でケーキをいただいたが、不思議なことに寒い三畳の部屋で一人ケーキをいただいたあの夜を思い出した。夕食は17時なのでまだテレビはつけられず、クリスマス気分も何もない。もちろんコーヒーもビールもない、哀れで寂しい夜だ。二年経ってもその記憶が甦ってくるのは、やはりああいう処には入るべきではない、ということなのだろう。
今年も黒羽ではチキンとケーキがつつがなく配られるのだろうか。